20年目

多くの人から学び。
多くの人から支えられ。
そのすべてが私の財産。

2002年入社

Mari Shimizu

  • 2002 工事部内装設計
  • 2008 工事部内装設計
  • 2011 制作設計部課長
  • 2016 企画設計部課長

クライアント、利用者、そして社内の仲間。
図面の向こう側に、想いを描き続けた15年間。

2002 飲食チェーン店の内装設計

美大でインテリアデザインを専攻していた私が、店舗や商業施設の設計に関心を持つようになったのは、母が住宅展示場に行くのが好きで、空間づくりの奥深さを知るようになったから。でも、その当時はまだまだラックランドは「デザイン」のポジションが確立されていない時代。しかも建築業界で技術職の女性はほとんどいませんでした。ラックランドの中で設計職が置かれていたのは「工事部」というセクション。実際に現場で施工をしていくための、アシスト的な役割でした。

おもに私が担当したのは、チェーン展開している飲食店の内装でした。そこでは、各店舗のオリジナリティではなく、フォーマット通りの空間づくりが求められるため、企画やアイデアよりは、スピードやコストが重要。月に2〜3件のペースで図面を微調整し続ける日々でした。また、積極的に現場にも足を運びました。職人や施工管理の意見を聞いて、図面を修正することも多々ありました。よく叱られましたが、あの頃に、設計者としての基礎体力が養われたと思います。

2008 スーパー、クリニックなど他業態も担当

同じ工事部の中でしたが、飲食店以外のチームに配属されました。スーパー、薬局、クリニック、物販店…。これまで携わったことのない業態の空間ばかりで、毎日が新鮮。また、打ち合わせでクライアントとも会う機会も増えました。発注主から「清水さん」と呼ばれる責任感と、よろこびも感じるように。新しいジャンルの図面を描くために、たくさんの本を読み、店舗にも訪れましたが、それでも専門家である医師の動き方、薬剤師の使い勝手を知ることはとても大変。「わからない」つらさがあったことも事実です。

仕事が大きく変わった2008年でしたが、プライベートも大きな転機を迎えた年でした。それは、ラックランドで働く先輩と結婚をしたこと。寿退社の多い時代でしたが、仕事が好きだった私は、もちろん仕事を継続。「やれるところまでやってやる!」の精神でした。

2011 新ビジネスの立ち上げ支援など、企画提案が増加

晴れて「設計」が部署として独立し、課長という立場に抜擢されました。工事のための図面はもちろん引き続き扱いましたが、一方で、デザイン性の高い提案も、私たちが担うようになりました。さらに、新業態のビジネスそのものを提案したり、お店のロゴやネーミング、販促ツールの開発にも携わったりするように。すでにアウトラインが決まっていることを図面にする仕事と異なり、「何も決まっていない」ゼロからのスタートなので、使う脳みそはまったく別。ある「和カフェ」の立ち上げでは、抹茶の仕入れ先を選定するために、メーカーの工場に出向いたこともあります。「内装設計」という領域を超えた未経験のことも増えましたが、刺激的な毎日になりました。

部下を持つ立場にもなり、自分の仕事をしながら、教育や指導をすることも大事な任務に。それまで自己流で突き進んできた私にとって、そのノウハウを別の人間に伝えることは至難のわざでもありました。同時に、新たな視点をもらえる機会にもなり、幅も広がったように思います。

2016 ラックランドを「デザイン」でも勝てる組織に

所属していた「制作設計部」の名称が変わり「企画制作部」に。すでにある仕事に対応しつつも、まだない仕事を獲りにいく姿勢をさらに鮮明にしたセクションです。前にも増して、新ジャンルへの参入が増えているラックランドで、「デザイン」を強力な武器にしようという動きのあらわれと言えます。ホテル一棟の全面リニューアル、海外への出店など、私たちのチームが関わっている案件も、規模や知名度が飛躍的に上がっています。

入社15年目。これまでの日々を振り返ってみると、確かに全速力で走り続けてきましたが、つねに周囲の人に支えられてきたのだと実感します。クライアント、職人、施工管理、上司、部下、そしてその空間を利用する生活者の方々。自分が提案したことがかたちになり、そして、多くの人々が喜んでくれるのが設計という仕事。当初は繰り返しの仕事も多かったけれど、どんなアプローチであれ、図面を引くということは、そこに想いを込めることだと私は思います。だから、もしも「次も清水さんで」と内外から声をかけてもらえたとしたら、それは私の想いが伝わったという意味。デザインは確かにクリエイティビティが発揮できるフィールドですが、同時に、「人間味」が如実にあらわれる舞台でもあると感じています。

私がラックランドを選んだわけ

いまの若い人たちに比べると、当時の私はずいぶんと「ふわっと」した姿勢で就職活動をしていたのかもしれません。「インテリア」という単語がおしゃれに見えて惹かれたというのも偽らざる気持ち。ちなみに美大でインテリアを専攻はしていましたが、設計図に関する授業はたった1コマだけでした。それでも、実はラックランドのほかにもう一社、設計事務所からも内定をもらっていて、そちらに入社するつもりでいました。最終的にラックランドを選んだ理由は、扱っている領域が、圧倒的に幅広かったから。あの時の判断は間違っていなかったと思いますね。

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