営業 ×企画設計 × 施工管理 × 購買
怒涛の5ヶ月間を経て完成した、
被災地復興のシンボル。
「浄土ヶ浜パークホテル」全面リニューアルプロジェクト
岩手県宮古市
震災からちょうど5年の節目となった2016年3月。岩手県宮古市の「浄土ヶ浜パークホテル」が、リニューアルオープンした。客室全74室の改装をはじめ、レストランは50席増設、オープンキッチンを新設するなど、まさに復興のシンボルとして新たな第一歩を踏み出したかたちだ。地元市民の熱い期待を反映して、地元のテレビや新聞をはじめ、各メディアでも大々的に取り上げられた大きなニュース。その裏側で文字通り「奮闘」したのが、ラックランドの20名だった。その中から精鋭の5人を選抜し、現地インタビューを試みた。
プロジェクトの流れ
<2015年10月>デザインコンペ
<2015年12月>工事コンペ
<2016年 1月>工事着工
<2016年 3月>リニューアルオープン
物件規模
鉄筋コンクリート造5階建
客室数74室
ダイニング150席
コンベンションホール
未体験のボリューム、スケジュール、関わり方。
「やるっきゃない」の根底にあった情熱。
和泉
無事オープンできて、いまはホッと胸をなで下ろしていますが、振り返ってみると規模も工期も、なかなか味わうことのできない「刺激的」な案件でしたね。何せ、設計期間が45日、工期も45日だけでしたから、どちらも時間に追われたしびれる展開でした。営業として、各部門の社員には本当に頭が下がります。
清水
デザインコンペを獲った後、設計チームは、ホテルに泊まり込んでホテルスタッフと毎日議論をしながら作業を進めました。これは初体験でした。ただ、そういう体制でやってほしいというのは、支配人の強い要望でもあった。「浄土ヶ浜の空気感を実際に感じ、その魅力を最大限に生かしてほしい」という想いが、クライアントに明確にありましたね。
川尻
僕はもう、設計期間のことは思い出せないぐらいです(笑)。誇張ではなく「怒涛」でしたから。ただ、デザインコンセプトとして「和モダン」というのが出ていて、その上で、世界で通用するホテルにしたい、とスタッフの皆さんもおっしゃっていたことは印象的でした。高台にあるこのホテルは、震災直後、市民の皆さんの避難場所としても開放された場所。ホテルをリニューアルさせることは、岩手県や三陸海岸エリアを元気づけるイベントなんだ、と私たちも大きな責任を感じました。
山嵜
私は設計ではなく営業ですが、同行してこちらに泊まり込みました。人手が足りないこともわかっていましたし、時間がないこともわかっていましたが、所詮私は1年目の新人。何ができるのか、できないのか、自分でも手探りのまま、部屋や設備の寸法を測って、設計チームに伝える日々でした。
清水
山嵜には助けられましたよ。改装するゾーンはほぼホテル全体で、かなりボリュームもあって、デザインもエリアごとに割り振って同時進行で進めていましたので。ミーティングには支配人はもちろん、客室の担当者、料理長など、実際にホテルで働く方々が次々に出席されました。設計用の部屋と泊まっている部屋を往復する毎日でしたが、いろいろな意見を集約させることは至難でしたね。実際には、当初予定していたよりも工事のボリュームは大きく増えてしまい、施工を担当する社員には叱られるだろうなあ、と思っていました(笑)。
堀米
私が呼ばれたのは、まだ設計の段階でした。現場調査ということで、施工管理者としてホテルに来た。その時にはまだ、図面も最終段階ではなかったので、ボリュームは増えていませんでしたが、それでも「これは無理だろう」と思いましたね。どうなるんだろう、どうなってしまうんだろう…と。他社であれば断るレベルかもしれませんが、営業も設計も、とにかく情熱がハンパじゃなかった。「やるっきゃない」と腹をくくりました。
和泉
堀米だけでなく、社内の大半が「無理」だと思っていたはずです。でも、何とかしたい。クライアントの想いに応えたい、地元の人々を笑顔にしたい。単純計算して、設計と施工に必要なのは20人という数字が出たので、社内で承認を取るために走り回りました。「GO」が出た時には、よしっ!と思いましたね。
クライアントのために。地域のために。自分たちのために。
一丸となったラックランドの総力戦。
堀米
ただ、最終的な設計では、やるべきことはさらに増えていましたので、大変も大変。区画ごとにブロックを分けて、5フロア5チーム体制を組みましたが、現実に竣工を迎えられるのかずっと不安は消えませんでした。また、解体屋、建築屋、内装屋、電気屋、空調業者、給排水・衛生業者、防災業者など、各分野のパートナー企業を集めるのにもかなり苦労しました。東北一帯では復興の工事が各地で進行していましたので、急遽、ラックランドの東北支店のつてで急場をしのぐことにしました。
和泉
実際に、ボリュームや金額は当初の倍になっています。ただ、それでもオープンの日程は変えられない。限られた時間の中ですべてをやる、というのが絶対条件なので、現場は相当苦労をしたと思います。
川尻
本来、私は設計担当なのですが、工事がスタートして以降は施工管理としても動くことになりました。解体をしてみると、図面に載っていない配管が出てきたり、急遽変更すべき箇所が出てきたり、「予定外」が頻発するんですね。その都度、クライアントの承認をとって、施工チームとして対応をする。ただ、設計期間に比べれば、工事はあっという間だったような感覚です。
清水
私もあちこちで、このホテルがエリアのシンボルだと聞きました。広告も出稿されているし、メディアでも取り上げられている。現場で歯を食いしばりながら思っていたのは「もっと知ってほしい、もっと来てほしい」という願いでした。設計者としての幸せは物件の完成そのもの以上に、そこが利用されて、笑顔が増えていくこと。そうした経験を積み重ねた設計者は、強いと思います。
和泉
設計コンペ、工事コンペ、どちらも獲れたのはデザイン力をはじめとして、竣工までのすべてを1社で引き受けられる体制があったからだと思います。ただ、それ以上に私が強調したいのは、「想いの強さ」なんです。部門ごとに、社員ごとに、立場や強みは違います。けれど、クライアントと並走しながら挑戦していく気概は、ラックランド全社に流れるDNAだと思います。「浄土ヶ浜パークホテル」は、そんな私たちの心が凝縮された場所にもなったと思うんですね。
プロジェクト主要メンバー
※写真左から
- 営 業・・・山嵜 駿
- 企画設計・・・川尻 健介
- 企画設計・・・清水 麻理
- 施工管理・・・堀米 伸介
- 営 業・・・和泉 啓